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最高裁判所第二小法廷 昭和35年(オ)437号 判決 1961年10月13日

上告人 小滝イネ

被上告人 神奈川税務署長

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士瀬沼忠夫の上告理由第一点の第一、同浅沢直人の上告理由第一点について

論旨は、原判決は、所得税法九条一項八号の「資産の譲渡に因る所得」について、「総収入金額」の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

しかし、右にいう収入金額とは、譲渡資産の客観的な価額を指すものではなく、具体的場合における現実の収入金額を指すものと解するのが相当である。そして、原判決の確定するところによれば、上告人はその所有資産を譲渡して売却代金として五六〇万円を受領したのであるから、その収入金額が五六〇万円であることは明白である。上告人が訴外小滝工業株式会社の三〇〇万円の債務を弁済し、右資産上の抵当権を抹消したからといつて、右の三〇〇万円を差し引いた金額をもつて収入金額と解すべき理由はない。論旨は理由がない。

前示瀬沼代理人の上告理由第一点の第二について

論旨は、右三〇〇万円は、所得税法一一条の三(現行法一一条の四)により雑損控除として、譲渡所得の計算上収入金額から差し引くべき旨を主張するのである。

しかし、法一一条の三により控除される雑損とは、納税義務者の意思に基かないいわば災難による損失を指すことは、同条の規定上からも明らかであり、訴外小滝工業株式会社に対する上告人の求償権が所論のとおり取立不能であつても、もともと抵当権の設定が上告人の意思に基くものであり、上記三〇〇万円を雑損として控除できないことは原判示のとおりである。論旨は理由がない。

前示瀬沼代理人の上告理由第一点の第三、同浅沢代理人の上告理由第二点について

論旨は、上述三〇〇万円は、所得税法九条一項八号の「譲渡に関する経費」として所得金額算出上差し引くべき旨を主張するのである。

しかし、右にいう「譲渡に関する経費」とは、原判示のように、譲渡を実現するために直接必要な支出を意味するものと解すべく、本件譲渡資産上の抵当権抹消に三〇〇万円を要したからといつて、右三〇〇万円をもつて譲渡に関する経費ということはできない。原判決は正当であつて論旨は理由がない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田八郎 池田克 河村大助 奥野健一 山田作之助)

上告代理人瀬沼忠夫の上告理由

第一点原判決は判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背又は理由に齟齬がある。

第一原審は所得税法第九条第一項第八号「資産の譲渡に因る所得」金額の解釈を誤つた法令の違背又は理由に齟齬がある。

(一) 即ち原判決(五枚目裏二行目以下)によれば、「およそ抵当権によつて担保される土地を売買するに当つてはその売買価格は諸種の要素によつて決せられるにせよ一般的にはその抵当債務の額、買主が抵当権実行によつて当該不動産の所有権を失うべき危険性等を考慮に入れた上何等の負担なかりせばその土地の有すべき客観的価額より減額されて決せられるのであるが、かくして決定せられた売却価格そのものを以て譲渡所得に関する所得税法第九条第一項第八号にいう『総収入金額』に該当するものと解すべきである」とし、更に「従つてその売買代金より更に被担保債権額を控除したものを以て『総収入金額』と認めるべきではない」と判示している。

(二) 然し本件事案は判示の如く「その抵当債務額、買主が抵当権実行によつて当該不動産の所有権を失うべき危険性等を考慮に入れた上、何等の負担なかりせばその土地の有すべき客観的価額より減額されて決せられ」るべきであるのに減額されていない、寧ろ減額すべき条件即ち抵当権の抹消を上告人に一任し、その責任を条件として本件土地の客観的価額より減額を省略して一応の売買代金を金五六〇万円としているのである。

(三) 即ち本件事案では元来買受人である訴外日本水産株式会社が債権者に被担保債権を弁済して抵当権を抹消すべきであるのに右会社は抵当権不動産を買い受けることは望まず、特に上告人において抵当権を抹消することを契約条件(甲第一号証第二条弐御参照)として売買契約が為されたものである。上告人及訴外会社の真意は抵当権の附着した本件物件の客観的価額は金二六〇万円、抵当権付被担保債権の分を金三〇〇万円とみていた訳である。そして元来買受人である日本水産が債権者に弁済して担保である抵当権を抹消すべきであるのを売主である上告人が代つて行なつてやつたに過ぎない。買受人である日本水産としても本来は本件不動産の売買代金を二六〇万円物上保証債務の引受金三〇〇万円と項目を分けて処理すべきであつたのをその煩を避けて便宜概括的に売買代金名義に処理したものであり、売主である上告人としても税法上被上告人主張のような取扱を受けるとは全く予測もしなかつたので売買代金の取きめに関する真意に反して買受人のために便宜の処置をとつてやつたまでである事実甲第一号証土地売買契約書第二条二の金三六〇万円支払は抵当権の抹消と同時に支払われるものであり抵当権の抹消とは被担保債権金三〇〇万円の弁済をしなければなされないのであり結局右三〇〇万円は登記当日所轄登記所において訴外日本水産から債権者たる訴外株式会社神奈川相互銀行に直接交付支払われてしまうものであつて、上告人はただその場に立会つたに過ぎないのである。

(四) 若し売買当事者が税法上のことに明るく本件売買のような場合売買代金を二六〇万円とし、(金三〇〇万円は買受人が物上保証債務を引受けることとし金員の授受がなかつたとした場合に、果して売主の譲渡所得をいくらと算定されるか、まさか金五六〇万円ということはないであろう(物上保証人の求償権については後述)同じ一ケの物件の売買譲渡に際しその取扱の巧拙により所得が金二六〇万円となり又は金五六〇万円になることはあり得ないのであつて所得税法本来の衝平の理念に立ち上告人の真に得たであろう経済的利益をもとにして所得の有無及その額を算定しなければならない。原審及第一審は右所得税法本来の衝平の理念を忘却しただ形式的な売買代金を所謂総収入金とみて譲渡所得金額と認定したのは所得税法(以下単に法と略称)第九条第一項第八号の解釈を誤つた法令違背又は理由に齟齬がある。

(五) 法は「所得」の概念についてはこれを明らかにしていない。法第九条は課税標準の計算方法として所得を十種類に分けて説明しているに過ぎない。所得はその発生形態により担税力も異るので負担の適正、公平を期するためにはそれぞれの所得の態様に応じて十種類に区分し、その種類に即した所得の計算が定められている。また所得の計算は一暦年間の費用収益対応主義による期間計算を原則とする。総所得金額は各種類ごとに計算した所得金額を綜合すればよいのであるが(但し退職所得だけは特別の理由により分別課税されている)場合によつては或る種類の所得に損失の生ずることもあるのでこの場合には一定の条件によつて他の所得と損益の通算を行ない得ることとし課税の標準算定の適正公平を期している(法第九条の三)法第九条の三は各所得間の損益の通算の規定であるが所得税法が税負担の適正、公平を期せんとする精神からすれば当該所得のうちに損失に該当する要素があるときはその損失を利益(所得)から控除し得べくその通算した余剰所得が所謂課税対象となるものである。このことは租税体系上所得税と同一の範ちゆうに属する法人税法第九条第一項において各事業年度の所得は各事業年度の総益金から総損金を差引いた金額によるとする規定によつても窺知できる。本件係争の要点は上告人が訴外小滝工業のために物上保証をしたことによつて本件土地の譲渡に際し抵当権者に支払つた金三〇〇万円は譲渡所得から控除されるのか否か、また控除されないとすればそれは上告人が小滝工業に対し求償権を得たためであるか否か(たとえ後記の如く小滝工業が支払不能で求償権の行使が不能であつても)である。換言すれば小滝工業に対して有するようになつた求償権が譲渡所得の一部を為すものか否かである。尤も仮りに上告人自らが訴外神奈川相互銀行から金銭の借受をなしこれに抵当権の設定をなしたときは右借受に際し経済的利益を得ているのであるから後日抵当債務を弁済して抵当権を抹消したとしても既に経済的信用を得ているのであるから右弁済を損失ということはできない。問題は単なる物上保証債務に過ぎない場合である。

求償義務者である小滝工業が本件土地譲渡当時から現在に至るまで上告人に対し求償債務支払能力のないことは被上告人も認めて争はないところである。従つて上告人の求償権は事実上回収不能であり債権の経済的満足を得ることはできない。上告人の前記三〇〇万円の出損は上告人の損失に帰し結局本件土地売買によつて得た上告人の経済的利益は売買代金五六〇万円から金三〇〇万円を差引いた金二六〇万円である。被上告人は訴外小滝工業が無資力とすればよつて上告人に損失が生ずるであろうが所得税の課税標準の計算上控除さるべき要素は所得の種類ごとに一定されており(法第九条第一項)云々と主張しているが、これは課税所得が決定した場合これより控除さるべき金額を法定したものに過ぎない。上告人の不服とするところは右課税所得の決定にあり無価値の権利をも上告人の所得となした点乃至は求償権の回収不能による損失を譲渡総益金から控除し通算しないで課税対象の所得となした点に存するのである。

(六) 原審は抵当権の附着した不動産の売買については一般的に、はその抵当債務の額、買主が抵当権実行によつて当該不動産を失うべき危険性等を考慮に入れてその物件の有すべき客観的価格より減額して売買代価というものが決定されるから、決定した売買代価から更に被担保債権額を控除して総収入金額をきめるべきではないと判示している。理論としては正にその通りであるが本件では判示が云う如く「その抵当債務の額、買主が抵当権実行によつて当該不動産を失うべき危険性等」を考慮に入れて本件土地の有する客観的価格より減額して売買代金を定めていないのである。むしろ名目上減額しないで、売主である上告人にその危険を取払つて貰いたいということで甲一号証第二条に定める如き約定で売買代金を定めたのである。従つて原審が、本件売買が右の如き危険を考慮に入れて本件土地の有する客観的価格より減額して売買代金を定めたものと前提して(尤も右前提が誤りであることは既述の通り)「従つて売買代金より更に被担保債権額を控除したものを以て『総収入金額』と認めるべきでない」と判示したことは前提たる事実を誤認しているため、当然減額すべき抵当債務を既に減額したものとして総収入金額より控除すべきでないと判示したもので判示自体事実誤認に基く理由不備乃至は理由に齟齬ある誹りを免れず、原判決はこの点において失当である。

第二上告人は仮りに第一の主張が理由がなく譲渡代金五六〇万円について所得ありとするならば法第十一条の三(雑損控除)の主張をなし、本件譲渡総収入金額から前記求償権回収不能による損失の控除をなすべきものとしたところ、原審は「法第十一条の三(現行法の第十一条の四に該当する)にいう損失とはすべて納税義務者の意思に基かない災害又は盗難による損失であることは規定上明らかである。而してかかる損失を受けた者を他の納税義務者と同一の条件の下に所得税を負担させることは衡平の理念より見て適当でないので、かかる損失を蒙つた者に限りその税の負担を軽減せしめるのが同条の趣旨である。従つて本件において上告人が小滝工業株式会社に対して有する求償権の取立不能が雑損控除に該当しない」と判示した。

而し乍ら雑損控除の対象となる災害は主として天災であるが自己の意思によらない火災その他の人為的災害も含むものであり、また盗難には横領による被害をも含むものとする。ただ横領されたことによる損失は横領者からその回収の見込がない場合に限るものとする。(昭和二六年一月一日直所一-三二七国税庁長官通達「所得税に関する基本通達」について御参照)

然して上告人の本件根抵当権設定当時は訴外小滝工業は順調に事業をなしていたものであるが上告人が物上保証債務の弁済直前になつて支払不能の状態に立ち至つたもので右求償権の回収不能は上告人の意思によらない一種の人為的災害と目すべきものである。

しかも右求償不能の債権を得たものに通常の求償権を得たものと同一の取扱をすることは衝平の理念に反するものであるのに原審がこの点について求償権の取立不能が雑損控除に該当しないと判示したのは原判決に影響を及ぼすこと明なる法令の解釈を誤つた違背又は理由不備乃至理由に齟齬ある誹りを免れず失当である。

第三上告人は、仮りに以上の主張が理由ないとするならば訴外神奈川相互銀行に支払つた金三〇〇万円は法第九条第一項第八号の「譲渡に関する経費」に該当するものであると主張したところ原審は『譲渡に関する経費』とは納税義務者が譲渡に関してなした出損のうち納税義務者の実質的負担に帰するもののみに限られその出損に伴つて納税義務者がその責任又は義務を免れ又は請求権を取得するが如きものを含まない趣旨と解すべく」本件においては「上告人はこれによつて株式会社神奈川相互銀行に対し担保供与者としての責任を免れ且つ小滝工業株式会社に対して求償権を取得したのであるから」右三〇〇万円の支払は「譲渡に関する経費」に含まれないと判示している。

然し本件抵当権抹消のための出損は甲第一号証記載の如く売買契約の要素であり同契約書第二条第五条の定めるところによれば抵当権の抹消と所有権移転登記とは売買代金受領と同時履行の関係に立つているものであり上告人は売買代金全額を受領するためには金三〇〇万円の抵当債務を弁済し、その上にある抵当権を抹消しなければならないのであつて右三〇〇万円は本件売買に関して出損を余儀なくされたものであるから右出損は譲渡に関する経費に該るものである。従来から税務の取扱としては譲渡に関する経費中には譲渡のために直接支出する周旋料登記料の外譲渡のため借家人を立ち退かせる場合に於けるいわゆる立ち退料を含むものとされている(コンメンタール所得税法1、一六〇頁御参照)、法にいわゆる所得とは個人の一定暦年間における経済的利得を指すもので、損失は課税の対象たり得ないのである。従つて若し仮りに上告人が自ら訴外神奈川相互銀行より金銭の借受をなしたときは右借受に際し経済的借用を得たのであるから後日抵当債務を弁済して抵当権を抹消したとしても既に経済的信用を得ているのであるから右弁済を経費の支払となすことはできない。本件では単なる物上保証であつて上告人は何等経済的利得を得ていないのである。法人税法は所得の計算について各事業年度の総益金から総損金を控除した金額によるとして損金の除外を明定している。若し上告人が法人であつたとすれば訴外小滝工業株式会社に対し求償不能となつた金三〇〇万円は課税対象とならなかつたことは明白である。法人税法とその立法の精神を同じくする所得税法に於てもその理は同一なりとせねばならない。

とすると前記三〇〇万円は所得税法第一項第八号の譲渡所得の控除項目中の譲渡の経費に包含せらるべきものなることは当然といわなければならない。税務当局は従来本件の如き場合訴外小滝工業が破産宣告を受けておればこれに対する債権(求償権)は課税対象より除外する扱をしている由であるが、右小滝工業が破産宣告されたか否かという形式にかかわりなく、右の如き債権の回収不能の状態にあることが明白かつ顕著な場合においても同様に取扱うことが所得税法の立法精神に合致するものと確信する。よつて此の点に関する原判決の判示は法令の解釈を誤つた違法のものであり各理由不備乃至理由齟齬のあるものと思料する。

上告代理人浅沢直人の上告理由

原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背があるか、理由不備審理不尽の違法があり破毀を免れないと確信する。

第一点本件係争の要点は上告人が訴外日本水産株式会社に売渡した不動産の代金五百六十万円をそのまま所得税法(以下法と略称する)第九条第一項第八号の資産の譲渡に因る所得算出の基準とすることが妥当なりや否やの一点である。

被上告人は前記五百六十万円を本件譲渡所得算出の基準とし、これに対する上告人の主張は上告人は日本水産株式会との間の前記売買契約に於て、上告人が訴外小滝工業株式会社の訴外株式会社神奈川相互銀行(以下銀行と略称する)に対する極度額金参百万円の根抵当権設定契約に基く債務の物上保証人として、上告人所有不動産に設定した根抵当権を抹消して日本水産株式会社に所有権の移転をなすことを約していたので、(甲第一号証土地売買契約証書第四条第五条御参照)上告人は日本水産株式会社より受領した譲渡代金五百六十万円のうち金三百万円を訴外銀行に弁済して根抵当権の抹消登記手続をなした上日本水産株式会社に所有権移転登記手続をなし、右売買取引を完了した。(甲第五号証の一乃至十四御参照)そこで上告人は前記譲渡代金の内金三百万円については、小滝工業株式会社に対し同額の求償権を有するに至つたところ、被上告人も認めている通り訴外小滝工業株式会社は昭和二十八年中より支払不能の状態に陥り現在に至つているので、上告人は右求償権を行使してこれを回収することができない。もし上告人が右求償権の満足を受け得らるる状態にあるならば譲渡代金額をそのまま譲渡所得算出の基準とすることは正当であるが、前記の通り回収の見込なく結局上告人の損失に帰すること明白な以上、金三百万円は譲渡代金五百六十万円より当然除外され法第九条第一項第八号の「総収入金額」は金二百六十万円とされなければならないというのである。

原判決はその理由において、右に関し「そしておよそ抵当権によつて担保される土地を売買するに当つては、その売買価格は諸種の要表によつて決せられるにせよ、一般的にはその抵当権の額、買主が抵当権実行によつて当該不動産の所有権を失うべき危険性等を考慮に入れた上何等の負担なかりせばその土地の有すべき客観的価格より減額されて決せられるのであるが、かくして決定せられた売却価格そのものを以て、譲渡所得に関する所得税法第九条第一項第八号にいう「総収入金額」に該当するものと解すべきである。従つてその売買代金より更に被担保債権額を控除したものを以て「総収入金額」と認めるべきでない」として上告人の主張を排斥している。

本件は物上保証人たる上告人が抵当権付の所有不動産を売却するに当り買主との特約に基き買主より受領した売却代金の一部を抵当債務の弁済に充て依つて主債務者に対し求償権を取得するに至つたところ、主債務者が無資力のためその求償が不可能なため右求償権は名目上のみで結局これは上告人の損失となるのでこれを法第九条第一項第八号の「総収入金額」に加え譲渡所得額算出の基準とすることは所得税法上の所得の意義を誤解したものである。けだし所得税法にいう所得は原則としてある特定の個人について一定の期間において帰属することとなつた経済的利益の純増加を指すのであつて損失はその対象とならない。もし上告人が法人であつたと仮定すれば前記損失は法人税法第九条の規定により所得より控除されて課税の対象とならない、法人税法と租税体系上同一の範疇に属する所得税法もこれと同様に解すべきであつて、右損失を所得算出の基準数額に加えることは所得税法の意義を誤解せるものと断ぜざるを得ない。もとより上告人が自身の債務のために抵当権を設定していた場合あるいは物上保証人たる上告人が主債務者の債務を弁済したが主債務者に弁済能力あり物上保証人の求償を満足せしめ得ると認めらるる場合には上告人に経済的利益が存在するから上告人の不動産売却代金をそのまま「総収入金額」とすることは当然なりと思料する。

然し物上保証人たる上告人の主債務者訴外小滝工業株式会社に対する求償不能に因る損失の生じた特別の事情(原判決はその理由中に訴外小滝工業株式会社が支払不能の状態にあることは当事者間に争のない事実であることを遺脱しているが此点が上告人の「総収入金額」の判定に当つて極めて重要である)の存する本件においてはこれを前掲事例と同一に即断することは失当である。これを要するに原判決には所得税法上の所得又は同法第九条第一項第八号の「総収入金額」の意義の解釈適用を誤つた違法あり且つ審理不尽又は理由不備の違法ありと信ずる。

第二点上告人はもし本件上告人の「総収入金額」が原判決認定の如く、前段の如き上告人の損失をも包含するものとすれば上告人が株式会社神奈川相互銀行に支払つた金三百万円は法第九条第一項第八号の「譲渡に関する経費」として「総収入金額」から控除して金額を譲渡所得算出の基準としなければならないと信ずる。

もし本件「総収入金額」が上告人の叙上損失の要素をも包含するものとし、これを広義に解するならばこれに対する「譲渡に関する経費」についても同様広義に解することが条理上当然である。もし然らずして原判決の如く「総収入金額」を極めて広範囲に認めながら他方「譲渡に関する経費」を狭義に解することは納税義務者に不当の納税義務を強制することとなり徴税権者と納税義務者との間に衝平を欠き所得税法の本旨にもとるからである。原判決はその理由において「譲渡に関する経費とは譲渡のために支出する周旋料、登録料など一般的に譲渡を実現するために直接必要な支出を意味するが更に特定の場合において譲渡を実現するため不可避的に必要な支出もこれに含まれるものと解すべきところ云々」として「譲渡に関する経費」について一応広義の解釈を肯定しながら本件において上告人が抵当権抹消のため支払つた金三百万円は前記理由後段の譲渡を実現するため不可避的に必要な支出であつたとしても「譲渡に関する経費」に含まれないとし、その理由として「控訴人はこれにより株式会社神奈川相互銀行に対し担保供与者としての責任を免れ且つ小滝工業株式会社に対して求償権を取得した」からであるとしている。原判決の上告人が右銀行に対し担保供与者に対する青任を免れたという趣旨は上告人が右責任を免れこれによる経済的利益を受けたというにあると解するが、上告人が依然該不動産を所有しているならば格別既にその所有権が日本水産株式会社に移転しているので前記銀行に対する担保供与者としての責任を免れたことを以て上告人に経済的利益ありとすることは失当である。このことは上告人が日本水産株式会社に抵当付不動産をそのまま売却し、同会社が自ら右銀行に金三百万円を弁済しよつて抵当権の抹消を受けた場合を想定すれば明らかであつてこの場合譲渡代金五百六十万円は勿論金二百六十万円となるが上告人にして小滝工業株式会社に対する求償不能に因る損失を自ら負担することを覚悟しているのであるからかかる措置に出ることもできたのである。この場合において上告人の「総収入金額」は金二百六十万円となるのであつて、これに上告人が右銀行に対する担保供与者としての責任を免れた金三百万円が附加される筈はない。

更に又上告人は小滝工業株式会社に対し金三百万円の求償権を取得したが単に権利を取得したという一事を以つて直ちに上告人にこれに相当する利益あり、従つてこれは右経費とはならないと即断することは早計である。すなわち右権利が満足される可能性の存否如何によつて経費となるか否かを決定の標準としなければならない。もし小滝工業株式会社に弁済資力がある場合ならば上告人は金三百万円の求償をなし得るから原判決所論の通り譲渡に関する経費とはならないが、本件においてはその求償は不能の状態にあつて権利は有するが名目だけに過ぎず結局上告人の損失となつているので右金三百万円は譲渡を実現するための不可避的な必要経費に計上されなければならない。

右縷述の次第で原判決には法第九条第一項第八号の「譲渡に関する経費」の解釈適用を誤つた違法があり、かつ理由不備又は審理不尽の違法があり破毀を免れない。

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